日本の首相

ポンコツばかりが首相に選ばれるという我が国の現状を見て、ならば首相決定に際して科挙みたいな試験を導入してはどうか、と思ったが、首相(だけではなく何らかの集団のトップ)に必要なのは、試験で測定できるような学力ではなく、交渉力、あるいは人心掌握能力なので、現在の首相決定方法にはそれなりの合理性があるのではないか、と思うに至った。ただそれだと、なぜポンコツ首相が誕生するのかという説明にはなっていない。やはり、民主主義=善というそもそもの前提に問題があるのではないか。
そういえば、福田康夫が首相になったとき、なんとなく「安倍よりはマシ」と思ったが、これといった根拠があるわけではなかった。しかし後になって浅羽通明『昭和三十年代主義』(2008年)を読んでみたら、福田政権を「マンガほかサブカル(これも「新しさ」ですね)でウケを狙った麻生太郎内閣ではなく、昔ながらの派閥からなる地味な」政権であるとし、それは右肩上がり志向からの転換の象徴である、みたいな指摘があって、あの時の感情の根拠はまさにこれだったのかとびっくりした。ただ、今となっては、その後に福田政権は一年で崩壊し、麻生内閣が誕生し、さらに自民党が下野したという事実を我々は知っているのだが。