大津、草津、栗東、守山あたりの、スーパーマーケットがいつできたのかを調べている。
大津、草津、守山は、『市史』の近現代のページを見ると、スーパーマーケットができたことを歴史の一部として書いてある。だいたい1970年代に、スーパーマーケットの開業ブームがあったようだ。
しかし栗東は、栗東町史(栗東「市」は2001年まで栗東「町」だった)である『栗東の歴史』に、スーパーマーケット開業についてあまり書かれていない。そこで、平和堂の社史『奉仕と想像の50年 平和堂の歩み』(以下、『平和堂の歩み』)を見ると、栗東を含め、すべての平和堂の2007年2月までの開業年について書いてある。
「平和堂栗東店」が開店したのが1980年。これは、当時栗東町で唯一の鉄道駅であった国鉄手原駅の近くの店舗だ。
そして、「平和堂大宝店」が開店したのが1987年だということがわかった。ちなみにJR栗東駅の開業は1991年。
問題はここからである。この「平和堂大宝店」、かつては「ネーブル大宝」と呼ばれていた記憶がある。しかしそのことは、『栗東の歴史』にも『平和堂の歩み』にも書かれていない。
平和堂のサイト内検索では、「平和堂大宝店」はあるが「ネーブル大宝」はない。平和堂としては、「ネーブル大宝」という呼称とは無関係ということか。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2735039?tocOpened=1
国立国会図書館デジタルコレクションで見つけた。『食品商業』という1990年12月の雑誌の目次だろうか。「ネーブル大宝SC(滋賀県栗東町)」とある。「SC」はショッピングセンターの略だろう。実際の文章は確認していない。
http://www.city.ritto.lg.jp/soshiki/kyoiku/shogaigakushu/siminkaigi/3489.html
栗東市青少年育成市民会議 広報誌『息吹』のバックナンバーがある。第16号(2012年3月)に、「ネーブル大宝店閉鎖のため白ポスト移転予定」というお知らせがある。
また、2003年に運行が始まったコミュニティバスのバス停で、現在「新霊仙寺橋」とあるのが以前は「ネーブル大宝(店)前」だったらしい、ということがネットの情報を総合するとわかるが、正確な情報とまでは言えない。事実なら、ネーブル大宝が閉店した2012年のタイミングでバス停名を変えたのだろう。
以上と、その他のネットの断片的な情報、そして私の個人的な記憶より、少なくとも、地域住民が認識できる呼称として「ネーブル大宝」が使われていた、ということは間違いないだろう。ただ、それがどのような経緯でいつからなのかはわからない。
https://www.heiwado.jp/ir/img_54pdf/all.pdf
「『フレンドマート・D大宝店』(業態変更)」とある。2010年のことだという。知らなかったというか、印象が薄い。業態変更後に「ネーブル大宝」と呼ばれていたかどうかも覚えていない。このころには、栗東駅前に同じ平和堂であるアル・プラザ栗東ができていた。このあたりで「平和堂」といえば大宝ではなく栗東駅前のアル・プラザである、という認識になっていたと思う。業態変更の効果もかんばしくなかったのだろう、結局、業態変更の1年半後には閉店してしまう。
わかったこと
わからなかったこと
- いつ、なぜ、「ネーブル大宝」の呼称ができたのか
- 結局「ネーブル大宝」とは何なのか
参考資料
栗東町史編さん委員会 編『栗東の歴史 第三巻 近代・現代』(栗東町、1992年)
平和堂 編著『奉仕と想像の50年 平和堂の歩み』(平和堂、2007年)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2735039?tocOpened=1
http://www.city.ritto.lg.jp/soshiki/kyoiku/shogaigakushu/siminkaigi/3489.html (『息吹』第16号)
https://www.heiwado.jp/ir/img_54pdf/all.pdf